能との出会い。

違いが分かる、観世栄夫さん。

 

なんの取材だったか忘れてしまったけど、青山にある能楽堂へ能楽師・観世栄夫さんにインタビューをしたことがある。

初めて会った能楽師は、観世さんだった。

ネスカフェ・ゴールドブレンドのCMで、違いが分かる男シリーズに出ていた人だ(昭和である)。その時、まだ僕は能を観たことがなかった。

とはいえ、何も知らないではインタビューはできない。

僕なりに、能と観世さんについて調べて、会いに行った。

インターネットなどないから、日比谷図書館で調べたのだ。

当時、僕の事務所が表参道にあったから、青山の稽古場まで歩いて10分くらい。

近くて、気楽なインタビューだと思っていた。

 

板の間の応接室で、僕が待っていると、見覚えのある観世さんが現れた。

で、板の間に正座をしてお辞儀をした。

僕は、椅子に座っている。

これはマズイと思い、僕も板の間に正座しようとしたら、

「いや、椅子に座っていてください。私は正座が楽なのです」と、観世さんが言われたのを覚えている。

僕は、押し切られて椅子に座ってのインタビューになった。

居心地が悪いったらない。

 

まず、名刺を出す。

面白かったのは、観世さんが名刺を交換する習慣がなさそうだったことだ。

芸能人の場合よくあるけど、本人が名刺代わりで、基本名刺は持たない。

大抵、マネージャーと名刺交換をする。

観世さんは、僕の名刺をテーブルに置いた。

 

「昔は、河原で能をやっていたことがあると聞いています」と、僕が質問すると

「確かに、我々は河原者と言われた時代があります。能の原点かもしれません」と、観世さんは答えた。

今思うと、大変失礼なことを言ってたように思う。

 

インタビューの間、観世さんが僕の名刺を三角に折りながら話していたのが印象的だった。

サラリーマンなら、絶対にやらない。

20代の僕は、それを「カッコいいなぁ」と眺めていた。

「この人は、名刺交換などという世界とは違う次元で生きているんだ」と、思いながら。

そんなことをする人は、観世さん以来会ったことがない。

それも板の間に正座しながらである。

決して、世俗的に失礼な行為をしているとは気づいてもいない。たぶん。

それがカッコいいのである。

僕もやってみたいが、殴られそうだ。

 

次に会った能楽師は、梅若猶彦さん。

六義園の近くの友人の庭に大きな桜があって、毎年、みんなで花見をしていたんだけど梅若さんがいつも顔をだしていた。

「僕が出る能に招待しますよ」とある時言われ、桜のある屋敷のガールレンドと、お父様と三人で観に行ったことがある。確か、千駄ヶ谷にある国立能楽堂だった。

最前列だが、もう眠たくて眠たくて、苦しかったのを覚えている。

「こんな前で舟を漕ぐわけにはいかないよね」と、彼女のお父様が帰り際に言った。

お父様というのは、本当にそんな方だったからだ。東大医学部の名誉教授だったので、どう考えてもお父様である。白い巨塔の東教授みたいな人だ。

昭和に話題になった、五つ子の先生である。

面白い人であった。亡くなってもう5年くらいになる。ガールフレンドも…。

 

数少ない能体験だけど、大阪に来てから「また、見たいな」と、思うようになった。

『千人の月見の宴』に、薪能があるのはそのためかも知れない。

みんなに能をもっと見て欲しいと、実は、思っている。

 

文:川はともだち 代表 紙本櫻士

 

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