ネットがない時代。
今時、万国博覧会である。
1970年、大阪で開かれた万国博覧会は素晴らしかった。
高度成長期の日本を世界に発信する、国民全員のお祭りだったと思う。
アメリカ館の『月の石』を見るため何時間も並んだ。でも、並ぶ価値があった。月の石だもの…。
馬鹿げた岡本太郎が作った太陽の塔も、当時の日本の気分を表していた。
三波春夫が「こんにちは〜、こんにちは〜」と、歌う。
おそらくビートルズの『LOVE』からの発想なのかな、と僕は思っている。
僕たち日本人は『LOVE』ではなく『こんにちは』なのだ。
僕は、小学2年生で親に連れられて千里にある会場に行った。
国鉄茨木駅から会場までバスが出ていて、そこから行列だったのを覚えている。
国鉄茨木駅のレモンイエローに塗られた大きな歩道橋に、1970年のサイケなデザインを感じたものだ。
各国の紹介をするパビリオンや、日本起業が工夫をこらしたパビリオンは、3時間待ちはザラで、5時間以上待ってやっと入れた。
パビリオンのデザイも、魅力的だったし、展示物も興味深いものばかり。
携帯電話、リニアモーターカー、動く歩道、電動自転車、部屋から出ないでもなんでも出来るTV(現在のネット環境?)など、全部、実現しているのが面白い。
五千年後に開ける、タイムカプセルは松下館だった。
1970年の僕たちは、明るい未来を見ていたのだろう。
世界中の人たちを目の当たりにして、その国の商品や文化に触れることができるお祭りは、魅力的だった。
ただ、どれも日本人に合わせていない。
例えば、チーズなら、どれを選んでも不味い。少しは日本人の口に合う食材を選べないのか? これでは、外国の食べ物って不味い。と、思ってしまうではないか。
でも、それが、万国博らしさでもあった。
余談だけど、
万国博覧会が終わった十年間、会場が廃墟だった時期がある。
『千と千尋の神隠し』の怪しげなテーマパークをうろつく感じだ。
太陽の塔にも忍び込めた。手のところにドアがありそこから忍び込めた。
懐中電灯で暗い階段を登ると、体内にある展示物の残骸が残っている。
大きな三葉虫の模型とか、埃をかぶった1970年の世界だった。
ちょっとしたタイムトラベルである。
現在、2025年に大阪万博誘致をすすめているらしい。
第一回のパリ博から、見知らぬ外国の紹介をしてきた分けだけど、ネットがあるいま、外国の紹介もあるまい。
自由に外国に行けるし、ネットで世界中から買い物ができる。
2025年の博覧会では、
輝かしい未来を見せてくれる?
AIでなくなる仕事を紹介しちゃう?
なので、今時万国博覧会なの? などと、思ってしまうのだった。
経済効果とか?
文:紙本櫻士
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