
外国とビジネス。
かつては、北海道ですら外国みたいな存在だった。1970年代のことだ。
電話ひとつとっても「長距離だから、手短に」と言われたりした。
沖縄はアメリカだったし、僕たちは外国旅行が、手軽にできるとは思っていなかった。
昨夜、カリフォルニアでビジネスをしている友人と食事をした。
先週から、実家に10日間くらい滞在しているので、久しぶりに会ったのだ。
とはいえ連日のようにラインで話しているから、久しぶりな感じが希薄である。
たまに、スカイプでも話したりもするから、なおさらなのだ。
「ロスはいいよ。日本語だけで生活ができる」
焼き鳥屋で生ビールを飲みながらsが言った
「そんなことないだろう」
「日本人社会があって、日本語だけでオーケーなんだ」
「カリフォルニアの会社では英語?」と、僕は訊いた。
「日本人が8割だから、日本語だよ」
Sは、アメリカに20年以上住んでいて、英語はペラペラである。大学も外大だった。
それでも、母国語で過ごせるのは楽なのだと言う。まぁ、当たり前だけどね。
「ロスは、特別なのかもしれない」と、Sが言った。
問題は、ハイスクールに通っている下の息子が日本語を忘れかけていることらしい。
「彼の日本語は、あやしい」と、Sは心配そうに言った。
外国でビジネスをする場合、日本は言語の壁があった。もちろん、距離的な壁があるわけだけどね。
外大は、外国で仕事をするための特別な大学だったりもした。
「だった」というのは、現在はそれほどでもなくなったからだ。
ネットで簡単に翻訳はできるし(ずいぶん進化したと思う)、音声でもできるようになった。
外国はすぐそこにある。
いままで、日本人は距離と言語に守られてきた側面もあって、新ビジネスを真似されるのに時間的猶予があった。
いまやそれもあやしい。
ネットで調べると、外国の商品やアイデアはたちまち分かる。
それはチャンスなのか、リスクなのかは、そのひと次第である。
外国とのビジネスは、いままでと同じだと考えていると、今そこにある危機になるかもしれない。
写真は、マンハッタンにある旨いステーキハウス『Keens』のデザート。ブランデーがたっぷりかけてあった。
デカすぎ。
文:紙本櫻士
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