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コピーライター黒須田伸次郎先生のこと

しのげ。

 

故・黒須田伸次郎先生は、『ゴホン、と言えば龍角散』『母の日には、カーネンションを贈ろう』を書いたコピーライターである。

戦前のコピーライターで、当時は、文案家と言ったらしい。

80年代、僕が通った広告学校の校長先生だ。門下に糸井重里さんや、仲畑貴志さんなどがいる。

 

黒須田さんとは、たまに渋谷の『東(トン)』で麻雀をした。ラグビー観戦とか。

コピーを教わった記憶はないかな。

 

初めてお会いしたのは、神谷町であった広告学校の入学式だった。

黒須田さんが校長で、先生の挨拶から始まる段取りだった。

ところが、いつまで経っても来ないのである。

1時間以上遅れて、黒っぽいコートを着た黒須田先生が会場に現れた。

「道に迷って分からなくなったから帰る、と事務局に連絡したら、怖い声で『絶対に来てください』と、言われたから来た」と、冒頭、お話されたのを覚えている。

 

六本木の事務所に遊びに行くと、

「いいとこに来やがった。メンツを集めるから麻雀しよう」と、黒電話をジーコロ鳴らしながら、麻雀仲間に電話を始める。

「なんだ仕事してんのか? 今から出られない? 出られない。そうか」と、残念そうに言っては次に電話をする。平日の昼間なので、なかなか捕まらないのだ。

 

それでもなんとかメンツを集めて、麻雀を始める。

メンツは、電通、博報堂の社員やら、フリーのコピーライターやらいろいろだった。基本、業界の人たちだったように思う。

僕は20代だったので、みんな先輩である。

 

黒須田さんは、くわえタバコで牌をツモっている。

医者にタバコを止められているけど、おかまいなしだ。

「タバコは吸ってタバコだ」と言って、スパスパと吸う(気にはしている)。

吸わないと調子が出ないらしい。

で、チャーハンを頼む。脂っこいものも禁止だが、タバコを吸って片手にチャーハンを持ちながらの麻雀だった。いけないことだらけである。

 

「先生もあがってくださいよぁ」と、その時、ボロ負けしていた黒須田さんに先輩のコピーライターが言うと、

「俺だって、上がりてぇんでぇ!!!!」と、黒須田さんがチャーハン食べながら叫んだのを覚えている。

麻雀をやった人なら分かるけど、手加減すると大抵の場合ボロ負けする。

その時は、普通に打っている僕は馬鹿勝ちだった。どんどん勝つのだから仕方がない。手加減などするからである。

帰り際「勝ちすぎだよ」と、その先輩に注意された。

でも、なぜか僕と麻雀するのが気に入ったのか黒須田さんに、よくメンツに呼ばれた。

 

黒須田さんの話は面白い。コピーの話はしないけど…。

例えば、226事件の時、封鎖された中にいたらしく、

「すみません。会社に戻れなくなりました」と、会社に電話をすると、

「よくやった! ずっとそこにいろ!」と、上司に言われたことを昨日のことのように話す。

 

「俺が教えたやつは、コピーライターやらずに小説書いたりするんだ。でも、みんな大変なんだよ」と、六本木の事務所を出て、雀荘に移動する道すがら黒須田さんが言っていた。

僕は話を聞きながら、当時、小説書き始めていた原田宗典さんのことかな? と、思っていたけどどうだろう。

 

「まだ、何も書いていない紙だな」と、あるとき黒須田さんは僕に言った。

僕が、紙本だからだ。

あれからずいぶん経つけど、まだ何も書いてない紙が続いている。

黒須田さんの有名な言葉がある。

「しのげ」だ。

そしていま、僕はしのいでいる。

 

文:紙本櫻士

 

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