「なんか嫌な予感がしたんだよね」
と、カメラマンの宮地工さんが言ったのを覚えている。
写真を撮っていた時、カメラのシャッターに違和感を感じたらしい。人間の感覚では分からないほどのズレだった。
現像してみると使えない写真だったという。
『嫌な予感』がした宮地さんは、念のためもう一台のカメラで写真を撮っていた。
「もし撮れてなかったら(タレントの海外ロケだ)、損害賠償モノだった」
と、宮地さんはビールを飲みながら笑っていた。
プロだと思った。
例えば、こんなことも。
以前、別冊太陽で、神社特集の仕事をした時のことだ。
カメラマンがなかなか捕まらなくて、僕はネットで撮れそうな人を探すことにした。
すると素敵な写真を撮って、自分のWEBサイトに掲載しているカメラマンが見つかった。
僕は、彼に連絡して仕事をお願いをした。
仕事で撮った写真が酷かった。
理由は、すぐに分かった。
彼は、上手く撮れた写真を選んで自分のサイトに掲載していたのである。
好きなだけ時間を使って、好きな被写体が(たまたま)上手く撮れた写真が、彼の作品だった。
決まった取材時間内に、彼は素敵な写真が撮れないのだ。
僕も失敗をした。
ある建築家の取材をした時のことだ。
録音しながら、彼の話を聞き記事をまとめればいい。
取材が終わって、僕は電車の移動中に録音を聞いてみた。
なぜか「シャー」という音しかしない。
うぅ、全く、録れていなかったのである。
どうしたか?
ノートに、彼から聞いたことを(必死で)思い出しながら書き出した。
人間の脳は素晴らしい。ほぼ全部、覚えていたのである。
火事場の馬鹿力かもしれないけど。
それから僕は、録音機器というか、機械を信用しなくなった。
現場では、何があるか分からない。
仕事ができるのは当たり前で、
何があっても軌道修正ができるのがプロだと思っている。
自戒を込めて、ね。
文:川はともだち 代表 紙本櫻士
チケットぴあにて、発売開始。ネットはもちろん、電話でも買えるということで、アナログな方にも優しいのだ。
0570-02-9999(Pコード 481-199)
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