テレビの時間。
ずいぶん前だけど、大隈講堂の前を通りかかった時『講演 大橋巨泉』という、看板が掛かっていたのを見かけた(大橋さんも、もう、亡くなったけど)。
そう言えば、巨泉さんは早稲田だったな。と思い、僕は大隈講堂に入った。
巨泉さんが、すぐ近くに見える前列のパイプ椅子に座ったのを覚えている。
「僕は、講演をよく引き受けると思われるかも知れませんが、実は、今日が初めてなんです。カメラの前はいいんだけど、大勢の前で話すのが苦手で。タバコを止めてるんですが、こんな時は吸いたくなりますね。美人に、あら禁煙してるの? なんて聞かれたら、何言ってるんですか、あーた、タバコくらい、僕はいつでも吸いますよ」などと、巨泉さんは顔を紅潮させながら話し始めた。
どうも、あがっているようなのだ。
「僕は、テレビの世界が長い。みんな勘違いしているのは、テレビにスターはいらない。ということなんです。映画は、スターが必要です。お金を払って、みんなスターを見る。テレビは、只だから、面白いか面白くないかだけですよ。
面白くなければ、チャンネルを代えられてしまう。
テレビに、スターなんかいらないんです」
確かに、テレビは貧者の娯楽と呼ばれていたこともある。
無料で楽しめるのが、テレビだ。
初期からCMを導入して、無料にしたのも、すごいアイデアである。
NHKは、有料だけどね。
ゲームが無かった頃、テレビは1日2時間までとか決められていてこともあった。
それほど、テレビの時間が輝いていた時代があった。
巨泉さんが言うように、面白い番組には熱中するし、つまらないとチャンネルをかえる。
テレビは、受動的だと言われるが、実は能動的な部分も大きいのだ。
さらに能動的なのが、ネットだ。
見たいものを自分で探して、無料で視聴できるの。
しかも、簡単に情報発信する側にも回れる。このブログみたいに。
検索エンジンの能力も日進月歩である。
米津玄師は、ニコニコ動画で作品を発表しスターになった。
でも、スターになったのではなく、彼の才能が無料で心惹かれたのだと思う。
僕たちが、見たいチャンネルが米津玄師のネット番組だった。
制作する側の特権がなくなりつつある。
なくなりはしないだろうけど、無料の世界は、面白いかとか、ためになるかとか、メリットがあるとか、
シビアな世界だ。
基本無料のネットに、僕たちは、よきにつけ翻弄される過渡期を過ごしている。
文:紙本櫻士
https://komezensen.jimdofree.com/
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