ボストンデビュー

ジャパン・フェスティバル・ボストンで警備員。

 

ニューヨークからボストンへは、飛行機で1時間くらいだ。

ローガン空港に着き、僕たちはタラップを降りた、のはいいけど、ジーンズのポケットに携帯がない。

「携帯がない」

と僕が言うと、

「馬鹿なの死ぬの?」と、事務局の広瀬が2ちゃんねるみたいに僕を罵った。

「どうすりゃいいんだ」

「空港の事務所で携帯なくしたとか、言えばええんちゃう」

「言えばいい、って英語で?」

「スワヒリ語でも」

 

とにかく僕はインフォーメーションを見つけて、受付の女性になんとか「携帯を飛行機の中に忘れた」と、伝えた。なんとか英語で。

「分かったわ」と言うと、彼女は電話で僕が携帯をなくしたことを伝えてくれた。

 

すると、やけに太ったおばさんがやって来て、僕を待合室のような部屋に案内した。

忘れ物とか、厄介ごとを処理する部屋のようだ。

「詳しく説明しろ」と、彼女は僕に言った。

「座席の前にあるポケットに入れたと思う」

うなずきながら、彼女は納得したような表情になった。

「オーケー、ここで待ってて」

彼女はそう言うと、部屋から出て行った。

 

今度は黒人のおじさんが、

「これかい?」と、僕の携帯を右手でかざしながら部屋に入って来た。

「それそれ。むっちゃありがとう!」

「日本人かい。コンイチハ」と、おじさんが笑顔で言った。

「コンニチハ」と、僕たちはグーを合わせて挨拶をした。なんかアメリカン。ありがとう。

 

ジャパン・フェスティバル・ボストンの委員長をしている青谷さんが、空港までわざわざ迎えに来てくれる、というので青谷さんに電話を入れた。

 

僕たちは、礼を言い、遅くなった間抜けな理由を告げ、青谷さんのクルマに乗り込んだ。

「どこに滞在するんですか?」

「シャウマットのシェアハウスです」と、広瀬が言った。

「ホテルが高くて、安いとこを必死で探しました」と、僕が言った。

「確かに、ボストンのホテルは高いです。5万とかしますから。シャウマットには行ったことないけど、地下鉄で会場まですぐですよ」と、青谷さんが言った。

「どんな街ですか?」と、僕が訊いた。

「昔は、危なかったけど」

なんだか不安になってきた。安い理由があるらしい。

 

ハイウェイを走るクルマの窓から、ボストンの町並みが見えた。

暖炉があるのか、煙突のある家が目立っていた。冬は、寒い街なのだ。

天気もよく、4月のボストンの気温は27度くらいだ。

 

シャウマットのシェアハウスに着くと、若い黒人のオーナー夫婦が迎えてくれた。

白い大きな一軒家で、大家夫妻は三階に住んでいるらしい。旦那さんは、バスケットボールの選手かと思うくらい背が高い。黒縁のメガネをかけ、どこかインテリ風だった。

奥さんのウェーブをした茶色い髪が素敵だった。

二人と握手をした後、

青谷さんが大家さんにいろいろ聞いてくれる。ありがたい。

スーパーの場所、美味しいレストランなどなど。

「コモン公園で、明後日、ジャパン・フェスティバルをやるんです」と、青谷さんがご主人に言った。

「それは面白そう」と、奥さん。

「日本の美味しいものが食べられそうだね」と、旦那さんが言った。

 

僕たちは、青谷さんと握手をして礼を言った。

「ステージキッズを組み立てるところの写真を撮りたいです」と、僕は言った。

「10時くらいに来ても大丈夫ですよ」

「ボランティアで参加しますから、何でも言ってください」と、広瀬が言った。

「助かります」

そう言うと、青谷さんはシェアアウスを後にした。

 

文:川はともだち 代表 紙本櫻士

 

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