ファンに届くか?
10月4日(水)の中秋の名月に、『千人の月見の宴』を、僕たちは開催する。
開演は16時、セミプロの演奏や和太鼓、枚・かた男の出演に続き、火入れの儀、19時頃から薪能『黒塚』、宇崎竜童のブルースと続く。
中秋の名月に照らされながら、宴を張る伝説の一夜の始まりである。
薪能は、「薪の宴の能」という意味である。
平安時代まで遡り、最初に行ったのは興福寺だった。
興福寺では、薪御能(たきぎおのう)と呼び、特別な儀式として現代まで伝えている。
興福寺でやる以外は、薪能ではない。という意気込みである。
実は、千人の月見の宴で能を舞う能楽師・辰巳満次郎は、興福寺薪御能でシテ方を努めている。
つまり、僕たちは枚方で本物に触れることができる。
辰巳満次郎さんは、第一回から『千人の月見の宴』に出演してくださっている。
「枚方の淀川河川敷で薪能をやります」と僕が言うと、
当初は、地元の能好きおじさんの発表会だと思われていたフシがあった。
「重要無形文化財の能楽師で」
「またまたぁ。枚方で?」
そんな感じである。
とはいえ当日、月明かりの下で舞う辰巳満次郎を観ると、観衆は息を呑む美しさに見入っていた。能を観たのが初めてという方も多かったのだ。
能は、敷居が高いのかもしれない。
平安貴族が楽しんだ能楽は、当時のポップスだ。
モーツァルトだって、生きていたときはポップスの作曲家である。
古典芸能と現代音楽を融合は、現代に新しいポップスを出現させるかもしれない。
敷居の高い芸能など、本来ないのだ。
貴族がいなくなったし。
「天鼓(てんこ)には、狂言がないといけない」と、昨年、満次郎さんが言った。
演ずる時間が1時間と短い中、なんとか、狂言を入れて天鼓を演じたのだった。
さすがに、狂言が入ると厚みのある能楽になる。
今年は、どうするのだろうか?
薪能が終わると、20時頃から宇崎竜童のブルースである。
どちらかひとつでも、伝説の一夜になりそうなのに、これでもかの宇崎竜童だ。
先日、宇崎竜童のコンサートに行ったのだけど、感動できな演奏と声だった。
まさに観ずに死ねるか! である。
日本の古典芸能と現代の音楽を同時に観てみたい。と、僕は思っている。
古典芸能と現代音楽の融合が観たい。
新しい「何か」が、生まれてくることを期待している。
辰巳満次郎の薪能ファンと、宇崎竜童のファンに新しい切り口を観てもらいたい。
文:川はともだち 代表 紙本櫻士
チケットぴあにて、発売開始。ネットはもちろん、電話でも買えるということで、アナログな方にも優しいのだ。
0570-02-9999(Pコード 481-199)
【人気記事】
【最新記事】
【記事一覧】
コメントをお書きください