
母の塔、青春の塔、太陽の塔。
「永遠はない」
けど、
撤去が決まっていた太陽の塔は残った。
1970年に開催された大阪万国博覧会のシンボルである。
作者は、岡本太郎だ。
「自分に過去はない」
などと、岡本氏は言っていたが
「『太陽の塔』は、自分から離れ日本人のモノになった」と、撤去に反対する意見を述べている。
そして署名などもあって、太陽の塔は残すことになった。
義理の父が、
「万博で雲みたいなのを作った」
と、言っていたのを覚えている。
太陽の塔の東と西にあった、母の塔と青春の塔のことのようなのだ。
当時、父はデザインの仕事をしていた。
模型を作ってそれを実物にするのが得意だった。
いまみたいにキャドがない時代だ。模型を作ってそれを立体化する仕事だったらしい。
「太陽の塔、母の塔、青春の塔、3つ合わせてひとつの作品なんだ」
と、岡本太郎は言う。
ところが、母の塔と青春の塔は、現在、なくなってしまった。
東側になった青春の塔は、遊園地『エキスポランド』にしばらくあったが、それも撤去された。
また、太陽の塔の底にあった、2つの顔もない。
まつりが終わったら、やぐらやアーチを撤去するように、ダンプにドンっと乗せた粗大ごみになったのかもしれない。
当時は、ガラクタだったのだろう。
役割は終わったのだ。
青春の塔も母の塔は、ちょっとした公園なら置けただろうし、企業の敷地に移築することもできただろう。
でも、その時代を生きていた人には、価値が分からない。
引き取り手のない粗大ごみだ。置き場所もないしね。
現在、太陽の塔には耐震問題があるらしい。
今後、存続させるかは、補強の予算が取れるかにかかっているという。
とはいえ、岡本太郎が言うように「国民のモノ」になった太陽の塔なくならないように思う。
日本には、そんな余裕が生まれている。
2025年、大阪万博開催が決まった。
今どき万博か?
とは思うけど、やるからにはハッとするアイデアを見てみたい。
ネットの出現による『未来と調和』を見せてくれる?
文:紙本櫻士
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もろ (土曜日, 06 11月 2021 16:51)
母の塔は、神奈川県川崎市多摩区にある、「生田緑地」という公園に移築されてますよ^^