所有しなくてよくなった。
書籍、CD、ビデオ、写真などを所有しなくなった。
Tverというサービスでテレビプロブラムの録画もやめた。
ほぼね。
録画すると
「見なくてはならない」
そんな義務が生じていいたように思う。
Tverでは、一週間分の民放テレビ番組を配信している。
録画所有していた時は、多少つまらなくても「もったいないから」見ていたように思う。
折角、録画したんだからなどと。
そもそも、1週間見ない作品など、それほど見たくない作品だったりする。
ことによると惰性で見ていたり。
Tverのサービスで、より気軽に途中でも視聴をやめることができるようになった。
所有していない気楽さがあるのだ。
たぶん。
ネットによる所有しなくてもよい環境が生まれてきた結果なのかもしれない。
近藤麻理恵さんが書いた『人生がときめく片づけの魔法』は、そんな流れから生まれたように思う。
彼女は「ときめいたモノは残しなさい」と言う。
それ以外は、役目が終わったから捨てなさいと…
『断捨離』は、同じように見えるけど、さらに思い切って捨てよう。
そんな過激さを感じる。
例えばmスター・トレックの乗組員は、ほとんど所有していないのではないか?
と、思える。
はるかな未来は、所有の意味がなくなるのかもしれない。
持たない未来人に、断捨離は必要ない。
ただ、情報は大量に『利用(所有)』するようになった。
それはそれで、ストレスを感じる。
人生がときめく片づけの魔法や断捨離のような、情報の取捨アイデアが欲しい。
情報が、いま、溢れ出している。
文:紙本櫻士
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