僕たちは、検索ロボットが選んだ世界を見ている。
変な例えかもしれないけど、味噌汁が嫌いな母親の家には、味噌汁が存在しないか、マイナーである。
逆もある。
カレーが好きなら、カレーはごく普通に選べる定番の夕食になる。
特別な料理ではなくて、母親を通した検索上位にカレーがある。
「味噌汁って何? 食べないし、なんか嫌い」
という、子どもが育つかもしれない。
ネットがない時代のゲリラマーケティングでこんなことをした。
マイナーな、アップル・コンピュータの売り込みである。
高価なのでレンタルである。
アップルにつくマウスも珍しかった。
「あんなの玩具だよ」
と、揶揄されて悔しい思いもした。
便利なのに…。
パソコンと言えば、NEC製PC9801だった時代だ。
ある家電の一部上場企業に売り込みに行く前、僕たちはその社員たちが利用する駅に、アップル・コンピューターのポスターを貼った。
渋谷とか品川とか高田馬場とか(乗り換えがあるからね)。
3駅しかないけど、ポスターを見た社員たちは日本全国で貼られていると錯覚する。
同時に、日経新聞の朝刊にも広告を掲載した。
浸透した頃、
「アップル・コンピューターのレンタルがあって」
と、プレゼンしに行くのだ。
「ああ、あれね。知ってるよその会社」
となるように…。
この作戦は、他でも何度か使ったけど上手くいった。
人はメジャーなモノに安心し、マイナーなモノに不安を覚える。
そこを突いたアイデアだ。
Yahoo! 全盛期は、ディレクトリ上部に表示されるのがメジャーの条件だった。
なん段階も下だとたどり着かないから、誰も見てくれない。
Yahoo! で面白そうなサイトを見つけて『ネット・サーフィン』をしたのもこの頃だ。
見つけやすい場所だと、人通りも多い。
さて現在、Googleの検索エンジンへと、ネット環境は一変した。
ネット・サーフィンというディレクトリを使った検索遊びも、もはや時代遅れだ。
いま、僕たちは、Googleというマザーが選択したメニューをいつも見ている。
マザーが嫌いなメニューは存在しないか、選びにくい。と、思っている。
オススメのカレーは、いつも上位で味噌汁は、存在しないかマイナーである。
これを意図的に利用すると、もはや洗脳だろう。
例えば、ある国を嫌いにも、好きにもできる。
宗教や教育、政治、ビジネス、僕たちの好き嫌いもGoogleマザーが
選んでいる。
ある政治家や会社の不都合な情報をいつでも表示できるし、
好感度が上がる情報も可能だろう。
スゴイことだ。
好きな駅にポスター貼り放題である。
ビジネスとは、そういうモノという考え方もあるけど、
自分で考える能力が、いまほど問われている時代はないと思う。
ママの言いなりは、ろくなことがない。
みんなと同じは、つまらないし、ビジネスでも勝てないだろう。
昭和なマンガに『地球へ…(テラへ)』(著者:竹宮恵子)という作品がある。
人間は、マザーというコンピューターに管理されている未来の話だ。
『目覚めの日』という成人式で、子どもたちはコンピューターに過去の記憶を消され、
洗脳されてから社会人になる。
一部の超能力を持った不適応な人間は、消される。
そんなお話だ。
実は、僕たちはその渦中にいるのかもしれない。
文:紙本櫻士
https://komezensen.jimdofree.com/
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